にんげん いつ死ぬかわからない、ということは、思い出すたびに真なりと思うけれど、そう四六時中思っていられるわけでもないので、それはそれで そんなものであるのも ある種の幸福だったりして、しかし、ほんとに死んでしまってから、しまったなぁ・・・と思うかもしれないなぁという気持ちは、なんというか波のようにやってきて、それは歳とともに頻度が増すのかもしれません。

で、なんとなく波がきている勢いで、ちょっと。

 

死んだらどうなる、とか、この宇宙の始まりは、とか、そもそも宇宙はどうゆう構造なのか、とかを、人類の英知を集めて解き明かそうとしていたりするけれど、わたしは、なんの根拠もなく考えている仮説をもっていて、だから どうってことないんだけど、今日はこっそり書いてみます。

体をつくる細胞のひとつひとつは、そのなかにもっと細かな組織をもっていて、その組織も原子レベル電子レベルの細かなものでできていて、いま どこまで顕微鏡でみられるのか知らないけれど、もっともっと細かいレベルのものの中に、いわゆる宇宙が存在していて、その無数の宇宙でもって わたしたちの体ができているんじゃないのかな、と。

で、わたしたちの体が存在する、この宇宙と呼んでいる世界は、とてつもなく巨大な、なにか生物といえるようなもののひとつの細胞をつくる組織で、まだ望遠鏡には映らないどこかに細胞膜があるのかもしれなくて、それは宇宙の果てというより、隣の宇宙との接点だったりして、とか。

わたしたちの住む宇宙が、世界が、どうぞ平和で健全でありますように、この宇宙が属する巨大な誰かさんがまじめに暮らしてくださいますように、そして巨大な誰かさんの住む世界が平和で健全でありますように。

わたしたちの体の中にある無数の宇宙に住む小さな小さな住人の平和と健全のためにも、できるだけ健全でありたいものだと、そんなことをふと思ったのでした。(2015年末)